『片田舎のおっさん、剣聖になる』2巻を読みました。
1巻では、片田舎で剣術道場を営んでいたベリルが、かつての弟子であるアリューシアとの再会をきっかけに騎士団の特別指南役となり、「このおっさん、実はかなり強いのでは?」という部分が少しずつ見えてきました。
👉 『片田舎のおっさん、剣聖になる』1巻を読みました。基礎を積み重ねることの大切さを改めて感じた話

2巻でもベリルの剣士としての強さを感じる場面がいくつもあります。
その中でも今回、特に印象に残ったのが、ベリルがオブザーバーとして若手を見守る場面でした。
戦闘の格好良さとは少し違う、長年人を教えてきたベリルらしさがよく表れている場面だと思います。
オブザーバーとして、まず普段の動きを見る
ベリルは最初から細かく指示を出すのではなく、まず若手たちが普段どのように動いているのかを見ています。
- 誰が判断するのか。
- 周囲をどのように見ているのか。
- 何か起きたときに、どのように対応するのか。
そうした普段の動きを見守りながら、一人ひとりを分析しているように感じました。
指導する立場だからといって、最初から自分の考えを押しつけるのではなく、まず相手を見る。
そのうえで、どこまでできるのかを判断する。
この順番が良いなと思いました。
答えを言うのではなく、考えさせる
経験のあるベリルは、途中で「何かおかしい」と違和感に気づきます。
それでも、すぐに答えを教えません。
ベリルほどの経験があれば、自分で判断して指示を出した方が早いでしょう。
しかし、あくまでオブザーバーとして、「この状況で若手がどう判断するのか」を見守っています。
答えを知っている側からすれば、正解を言ってしまうのは簡単です。
ただ、それでは自分で考える機会がなくなってしまいます。
自分で状況を見て、違和感に気づき、どうすればいいのかを考える。
その経験をさせるために、あえてすぐには口を出さない。
長年、人を教えてきたベリルらしい距離の取り方だと感じました。
「放置する」と「見守る」は違う
もちろん、ベリルは若手を放置しているわけではありません。
若手の動きや周囲の状況を確認し、本当に危険になったところではきちんと助けに入ります。
この場面を読んで、放置することと見守ることは違うのだなと感じました。
何もせず任せておくのが放置だとすれば、見守るためには相手の状況を把握し続ける必要があります。
- どこまで任せられるのか。
- まだ自分たちで対応できるのか。
- いつ助けに入るべきなのか。
それを判断しながら、あえて手を出さない。
自分で考える機会を残しながら、取り返しがつかなくなる前には介入する。
このバランスが絶妙でした。
仕事にも通じるところがある
この場面は、仕事にも通じるところがあるように感じました。
経験の浅い人が作業していると、
- 「このままだと失敗しそうだな」
- 「ここで詰まりそうだな」
と先に気づくことがあります。
そこで答えを教えれば早いですし、自分でやってしまった方がもっと早いこともあります。
ただ、そればかりでは自分で考える経験を積めません。
だからといって、「自分で考えて」と任せっぱなしにするのも違います。
まずは自分で考えてもらう。
必要であればヒントを出す。
そして、大きな問題になりそうなら助けに入る。
言葉にすると簡単ですが、実際には相手の経験や力量を見ながら判断しなければならないので、なかなか難しいことです。
ベリルの姿を見て、教えること、考えさせること、見守ることは、それぞれ違うのだなと改めて感じました。
まとめ
『片田舎のおっさん、剣聖になる』2巻では、剣士としての強さとは少し違う、ベリルの「先生」としての一面が印象に残りました。
答えを教えるのではなく、まず自分で考えさせる。
ただし、任せっぱなしにはせず、必要なときには助ける。
放置するのではなく、見守る。
長年人を育ててきたベリルだからこその、この絶妙な距離感も2巻の面白さの一つだと感じました。
関連記事
「もしこの記事が役に立ったと感じたら、SNSでシェアしていただけると嬉しいです!」
その際、インスタグラムやX(Twitter)で**「フォロー」や「シェア」**してもらえると、次の記事を書く大きな励みになります!
他にもSEの裏話や便利なガジェットやちょっと一息つけるようなコラムも用意していますので、ぜひご覧ください。


コメント